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MOJIMOJI.ORG

2008/10/01(水)

日記::2008年10月 モジモジ

移転

 7月のリニューアルは失敗だったかなぁ。1日1記事で、細々と思い付きを書き留めるつもりだったのだけど、どうにも書き留める気になれない。長く書いたり短く書いたり、ムラっ気でまくり。adiaryのバージョンもアップしてるのに、どうもうまくアップデートできないので、いっそ別のディレクトリに移すことにした。つき始めで区切りもいいことだし。ここは当面消しませんが、更新は停止。ムラっ気が抜けないなぁ。

 新しいブログは、こちら。>http://www.mojimoji.org/blog/

※コメントは、掲示板へお願いします。

2008/09/11(木)

日記::2008年9月 モジモジ

学力調査問題あれこれ

 基本はこんな感じで。>「学力調査結果を公表すべきでない理由」

 僕も試験をやって学生の「学力を調査する」ことがあるわけだけども、序列をつけて順位を発表することに、それほどの意味はない。大事なことは、本人がわかるかわからないかであって、その意味では、誰もわからないから自分も知らなくていいとはならないし、みんなが知ってるから自分もわかってないと恥ずかしい、ともならない。「どこができてないか」に関心を持って欲しいし、「目標はあくまでも満点」という前提でモノを考えて欲しいのだけど、99.9%の学生にはそういう発想がそもそもない。

 さらにいうと、講義を出発点にして自力でもっといろんなことを勉強して欲しいのだけど、そういうことは点数にならないので(当たり前、講義で教えてないことを、テストでは問えない)、結局やらないことになる。まだしも、そういうことをやってわかってたのしかった経験が豊富にあれば、そのことを評価してもらった経験があれば、違ってくるんだろうけど、「受験に関係ないことは無駄」の中で育ったせいなのか、そういう「余計なこと」にはほとんど手を出さなくなっている。

 だから、試験は具体的に測りたいものを先に念頭におき、必要なデータを収集できるように設計し、目的を念頭におかずに闇雲に統計処理したり序列をつけたりしない、ということに注意してる。教師が権威を持って示したデータは、学生にとっては規範である。確信がないなら、やるべきではない。

 こういう話をして、ふむなるほど、慎重でなくちゃね、となる人は、問題ない。しかし、「競争させることが大事」というのは、もはや一種の宗教じみた信念になっていて、競争がないのに勉強などするわけがない、自分だったらしないもの、云々、という人には、なかなか話は通じない。たとえば、フィンランドでは、義務教育期間が終わる16歳までは他人と比較するためのテストも競争もないそうだ。しかし、そんな話をしてみても、ロクに検討もせずに「日本ではうまくいかない」と返す人もある。

 僕も、必ずうまくいくだろう、とかは思わんのだけど、うまくいかないとしてそれはなぜだろう。うまくいっているとして、それはなぜだろう。単純に興味はわく。じゃあ、とりあえず読んでみてから、考えてみてから、もう一度考えようか、となるし、データの公表を要求するかはその後でもいいや、という気がするのだが、しかし、そうはならんのだよな、どういうわけか。教育政策を考える人の「学力が低い」と、思いつきで政策を実行することになり、ますますひどいことになる。ニワトリが先か、卵が先か、みたいな話だな。

コード・ブルー、最終回終了

 全然期待してなかったのに、ALS青年も出てきて、あのエピソードにもちゃんとした決着を与えてくれたのはうれしかった。今を生きることを、こんなにまっすぐに肯定してくれるとは。すばらしい。もう一度丁寧に見返したい。うーむ。

 しかし、本気の医療ドラマは、見るのが疲れるのぉ。

2008/09/07(日)

日記::2008年9月 モジモジ

Tomorrowとコードブルー、その後

 承前。しかし、Tomorrowは酷かった。今日は最終回だったのだが、なんか破綻寸前の自治体の赤字病院が、なんか「市民の絆」とやらで建て直しに成功してた。裏返せば、破綻する病院は「工夫が足りない」「絆=努力が足りない」ってことか。うちの相方、途中まで号泣してたんだけど、ラスト見てズッコけてた。結局、国の制度の問題には一度も触れることなく。前回は前回で、脳死状態?になった事務長の奥さんの生命維持装置を外す話が美談として描かれる始末。生命維持装置を外さずに必死で生きてる人間を愚弄するのかよ。ハッピーエンドのバカドラマを作りたいなら、医療とか生死の問題とか取り上げるなよ。「ヤスコとケンジ」みたいのんでいいんだよ。

 対照的に、コードブルーの方はかなりよくできてる(一点、ひっかかるところはあるのだが。後述)。ドクターヘリに乗る見習い医師を山Pとかガッキーとかがやってるので、若手人気俳優を起用した視聴率狙いの軽いドラマになりゃせんかとか思ったけど、全然逆。失礼しました。特に、中盤以降、「トリアージ」問題が浮上してきてからは、問題はどんどん出てくるけど、絶対に答えを出さない。答えが出たようでも、どんどんひっくり返される。「二人とも助けよう」として「二人とも死なせてしまった」ことへの後悔。冷静に「命を優先」して「腕を諦めた」ことへの迷い。さらに、「二人とも助けよう」として「二人とも助ける」ことに成功するが、しかし、結果は判断を正当化しない。何が正しい答えか分からない。「感情に流されてはいけない」なんて平板な答えで安心させてくれない。もちろん、「とにかく全力で全員救え」などという根性論も出てこない。…これについては、いずれ何か書きたいなぁ。とりあえず、最終回が気になる。あと1回だっけ、2回だっけか。ミスチルの歌もいい。

 一つ引っかかってるのは、何回か前、ALSの青年が出てきた回。あの回は「重度障害者は周囲の人間の負担である」ということを、かなりミもフタもない形で描いてた。その描き方は、確かに繊細ではあったのだけど、あれでは重度障害者の側の立つ瀬がない。「迷惑にならんように自重しろ」みたいな。かなりマズイ。最終回までのどこかで、ひっくり返ったりするんだろうか。

 でも、これもちゃんと描こうとすれば、「介護の社会化」みたいな話になるんだよな。あまり期待できない。結局、ドラマってのは「ある現場」を描くものでしかないだけに、国の制度のような「絵になりにくいもの」を捉えきれないってことなんだろうか。*1

*1 : エディ・マーフィーの出てた、「おかしな関係」みたいな、描き方とかどうなんだろ。

オープンキャンパス終了

 とりあえず。

追記

 あう、大事な引継ぎを済ませるのを忘れてた。明日朝一番に出勤せなならん。ガックリ。

2008/09/04(木)

日記::2008年9月 モジモジ

依存性について

 よく「マリファナは習慣性がないから、禁止しなくていい」という主張がなされる。実際、オランダとか、合法の国もある。多分、生理学的な依存性がないってことなんだろうと思うけど、インターネット依存症とか*1、ネットゲーム依存症とかのことを考えると、別の意味での依存性ってあって、そういう意味ではどうなってんだろうな、とは思う。勉強しててもマリファナが気になる、仕事しててもマリファナが気になる、とかって状態になると、それは立派に依存症だろうし。

 だから、禁止、という話とは別ですが。依存性については、もうちょい丁寧な検討が必要だ、とは思った。

*1 : 私です。ハイ。

2008/09/02(火)

日記::2008年9月 モジモジ

測ること、比べること

 そういや、と思って、探したらすぐ見つかった。>「QALY批判」
【QALYを使えないとしたら、どう比較すればよいだろうか。上記の規準を満たす方式が無いのであれば、「自然単位で結果を報告すること」に立ち帰らなければならない。すなわち、視覚障害の年数、頭痛の年数、勃起機能不全の年数で報告しなければならない。そして、決定権者は、「自分の選好」に基づいて資源使用法を決定しなければならない。「こちらの方が難しいかもしれないが、少なくとも己の為していることをわかる(知る)ことにはなろう。(Although this may be more difficult, they will at least understand what they are doing.)」。】
 「「自然単位で結果を報告すること」に立ち帰らなければならない」。ですよ。あはははは。まったく同意。

 いや、GDPは使えると思ってるんですけどね。でも、「費用○○分析」系は、ほぼ全部いらん、と思ってます。
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