▼ 2008/07/26(土)
■諸科学の協同
というようなことを、時々耳にする。そこで感じること。たとえば、障害者の自立生活運動を思い出すとき。あるいは、一つの具体例でいえば、ヘルパーによる人工呼吸器の痰の吸引が可能となった経緯を考えるとき。「諸分野の協同」は、困難を生きようとする人の実際の必要に寄り添うところで生まれてくるように思う。だから、「諸分野の協同」を目指す人が見出して尊重しなければならない人、耳を傾けなければならない人というのは、どの分野の専門家でもなく生きているような人であることが多いように思う。そもそも、困難を生きるとは、なんらかの分野の専門家になるほどの余裕を持てない、持ちにくいということなのだから、それも当然な気がする。
そういう人に寄り添い、そういう人の声に耳を傾けるというのは、ある種の「ダメな議論」に含まれるベクトルを引き受けるということであろうと思うし*1、それは「素人の放言」に寛容であるべきだと、僕が考える理由でもある*2。でも、そうはなってないように見える。むしろ、多くの場合、「非科学的なもの」あるいは「未だ科学的な言説として洗練されていないもの」を敵として排除する強い傾向性を持っているように見える。そんなんじゃ、○○学者たちが分野を超えて仲良くする以上の意味にならないじゃないか。専門家の傲慢が、諸専門家の傲慢になるだけじゃないか。
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