▼ 2008/07/31(木)
■教育の可能性
学校ではバカは直せない、学校で習ったことなんか役に立たない、などと結構簡単に言われる。これは実証的な物言いではない。もちろん、学校でバカが直せる、学校で習ったことが役に立つ、といっても実証的な物言いではない。てゆーか、こういうことについての「実証」って、データの取り方や処理方法で結構融通無碍に結果を左右できてしまうので、そもそも「実証的な」思考自体が(少なくともこの場合には)うさんくさい。むしろ、それぞれの前提が含意することを考えた方がいい。仮に「直せない」、「役に立たない」を前提するとすれば、それは「人が人を教える」ということを根底から否定することになる。裏返せば、すべては自己責任以外のものではありえないことになる。そういう前提を取ることになる。自己責任論に落とし込みたくないのであれば、「直せる」、「役に立つ」の前提を取る以外にはありえない。
とか言いながら、「実証的」なことも一つ。フィンランドの教育は世界一と言われるが、決してトップが抜きんでているのではない。落ちこぼれがダントツに少ないのだ。このことからすれば、「バカを直す」ことこそが教育にできることであり、むしろ、「天才を作る」ことの方にこそ限界がある。まぁ、自説に都合のよい証拠を探してみれば、ほらあった、というだけの話。信じるも八卦、信じぬも八卦。でも、フィンランドでやっていることと引き比べてみると*1、一応試してみてから考えたらいいんじゃないかね、という気はするな。
追記
ちなみに、フィンランドの学校の学級崩壊ぶりはスゴイ。授業中に寝てたり休憩してたり編み物してたり、いたって自由。たまには勉強したいな、と思う、その瞬間をうまくつかまえているらしい。で、また飽きて他のことやりだすと、ほっとく。教師が主導する部分もあるんだろうけど(少なくとも、他の子の邪魔はしないとか)、日本の学校とは比べるまでもないわな。■内藤大助
それはそうと、この人自身は嫌いじゃないんだよな。昨日の防衛戦は見ました。ボクシングはよくわかりませんが、見てておもしろかった。しかし、勝利者インタビューに突然闖入してきた亀田にはしらけた。まぁ、亀田の騒動がなかったら、内藤の試合も注目浴びたりしなかったところもあるでしょうし、その意味では功労者なんでしょうけど、そうか、あれか、イジメっ子に「おまえのおかげだ」と言うのと同じような気持ちで、亀田にも「ありがとう」ってことなんかな。食えなきゃボクシング自体やれないし、ね。切実だよな。実際、亀田の件がなければ、僕もボクシングとか見てないかもしれんし(そもそも、テレビ中継もされてなかったわけだし)。文化の問題みたいに、ボクシングの興行も公費で、ってわけにはいかんよーな気がするしなぁ。話がエライところに飛んだ。この件はまたいずれ考える(かもしれない)。
■何に公費を出すか
大阪の橋下知事の文化行政なんかも想起しつつ。てゆーか、単に切る切るゆーてるだけなんだから、文化行政ではなくて、文化行政からの撤退と言うべきなんだよな。まぁ、いいか。それはそうと、どういうものに公費を出すべきなんだろうね。音楽とか絵画とか演劇とか、そういうものに選択的に金を出す、となると、選別の基準がわからんし、餞別しないとすればキリがない。あるいは、選別の基準は、ある程度歴史主義的にやっちゃってもいいんかなぁ。まぁ、恣意的に、ってことですが。でも、恣意的に支出する代わりに、恣意的に削るってことにもなるんだろうな。生存には公費を出すべき、ってのは比較的わかりやすいな。それともう一つ、生存に公費を出すべき、ってことを理解し、それをいかに実現するかを討議し、そうした一連の活動を担っていく主体を作っていくための活動、すなわち教育と政治活動には金を出していい。てゆーか、話が少し飛ぶようだけれども、たとえばベーシック・インカムみたいなものが可能なら、それで空いた時間で無給の「文化活動」が行われる、ってのはあるだろうな。学問も含めて、基本はそれでいいような気がする。
これもまとめない。続けて考える。
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