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2008/09/11(木)

日記::2008年9月 モジモジ

学力調査問題あれこれ

 基本はこんな感じで。>「学力調査結果を公表すべきでない理由」

 僕も試験をやって学生の「学力を調査する」ことがあるわけだけども、序列をつけて順位を発表することに、それほどの意味はない。大事なことは、本人がわかるかわからないかであって、その意味では、誰もわからないから自分も知らなくていいとはならないし、みんなが知ってるから自分もわかってないと恥ずかしい、ともならない。「どこができてないか」に関心を持って欲しいし、「目標はあくまでも満点」という前提でモノを考えて欲しいのだけど、99.9%の学生にはそういう発想がそもそもない。

 さらにいうと、講義を出発点にして自力でもっといろんなことを勉強して欲しいのだけど、そういうことは点数にならないので(当たり前、講義で教えてないことを、テストでは問えない)、結局やらないことになる。まだしも、そういうことをやってわかってたのしかった経験が豊富にあれば、そのことを評価してもらった経験があれば、違ってくるんだろうけど、「受験に関係ないことは無駄」の中で育ったせいなのか、そういう「余計なこと」にはほとんど手を出さなくなっている。

 だから、試験は具体的に測りたいものを先に念頭におき、必要なデータを収集できるように設計し、目的を念頭におかずに闇雲に統計処理したり序列をつけたりしない、ということに注意してる。教師が権威を持って示したデータは、学生にとっては規範である。確信がないなら、やるべきではない。

 こういう話をして、ふむなるほど、慎重でなくちゃね、となる人は、問題ない。しかし、「競争させることが大事」というのは、もはや一種の宗教じみた信念になっていて、競争がないのに勉強などするわけがない、自分だったらしないもの、云々、という人には、なかなか話は通じない。たとえば、フィンランドでは、義務教育期間が終わる16歳までは他人と比較するためのテストも競争もないそうだ。しかし、そんな話をしてみても、ロクに検討もせずに「日本ではうまくいかない」と返す人もある。

 僕も、必ずうまくいくだろう、とかは思わんのだけど、うまくいかないとしてそれはなぜだろう。うまくいっているとして、それはなぜだろう。単純に興味はわく。じゃあ、とりあえず読んでみてから、考えてみてから、もう一度考えようか、となるし、データの公表を要求するかはその後でもいいや、という気がするのだが、しかし、そうはならんのだよな、どういうわけか。教育政策を考える人の「学力が低い」と、思いつきで政策を実行することになり、ますますひどいことになる。ニワトリが先か、卵が先か、みたいな話だな。

コード・ブルー、最終回終了

 全然期待してなかったのに、ALS青年も出てきて、あのエピソードにもちゃんとした決着を与えてくれたのはうれしかった。今を生きることを、こんなにまっすぐに肯定してくれるとは。すばらしい。もう一度丁寧に見返したい。うーむ。

 しかし、本気の医療ドラマは、見るのが疲れるのぉ。

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