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2008年5月の日記

2008/05/31(土) エリートの反逆

過去ログ::雑記 モジモジ
 ダメなリベラルの一つの特徴は、リベラルな制度の話しかせず、その制度を使用する人の問題、主体の問題を語らないことだ(と思ってる)。人の内面には踏み込まない、というお行儀のよさというべきか、覚悟のなさというべきか。それでは足りないから、社会関係資本とかいう概念が新たに生まれたりするわけで。

 クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆』を「オススメ」と書いたが、読み進むうちにちょっと微妙な感じがしてきた。この本は、民主社会を支える「人」に焦点を当てているという意味ではおもしろそうではあったんだけど、それが「徳」とか、ノーブレスオブリージュとか、そういう方向にいくんだよな。だから、ラッシュの議論では、社会を批判する態度も「社会に対する甘え、自尊心の欠如」として矮小化されがち。──要は、敵対性に対する感覚が鈍いんだよな。アメリカ白人男性インテリの限界でしょうか(差別的っ!)。

 昨晩は、腹が張ってどうにも苦しく、夜中に何度も目が覚ます。少なくともここ6年ほどの間は、望みうる最高レベルの睡眠効率を誇ってきたのに。──薬のせいで胃腸が弱っているのは確かなんだけど、昨日の晩飯、何か悪かったかなぁ。一緒にビールを飲んだせいで消化に悪かったのかもしれない。南無南無。

※コメントは、掲示板へお願いします。

2008/05/29(木) バカを考える

過去ログ::雑記 モジモジ
 クリストファー・ラッシュ『エリートの反逆』。買ったのは随分前なんですよね。10年近く前。ずっと気にはなってたんだけど、なんだかんだで後回し。遂に、という感じで読み始める。第3章まで読んだ。なかなかおもしろい。けど、要約するのがちょっと難しい。とにかくおもしろいです。オススメ。

 この間、はてなの方で、バカについて三つほど記事を書く。三つめの記事から読む方がよいでしょうか。読むとすれば。>「十字軍はバカに勝てるか」「疑似科学を憎んでバカを憎まず」「バカへの信を問う」

 何かを差異化することは不可避であり、そこに自分基準で優劣の物差しを持ち込むことも不可避であるから、形式としての「バカ」というものを逃れて生きることなんてできない。自分から見てバカにしか見えない誰かと、どうやってつながっていけるのか、ということが大事な問題。バカにしか見えてないんだったら、私にはそいつがバカに見えている、ということをちゃんと踏まえて考えていかないと、慇懃無礼さにおいて、同じことをしでかしてしまう。

 もちろん、バカと付き合ってられない、という場面も多々あるのは確か。でも、そういうときは、「疲れたからとりあえず中断」ということでいい。「もうオマエと話しても無駄だから」と言う必要はないし、よくよく考えれば、そのように言える根拠もない。

2008/05/28(水) 硬膜外注射、二発目

 いつのまにか、前に更新してから1週間が経っている。早い。この一週間もいろいろありました。

 先週末は少し状況が好転、あまり外出しないで済む状況が作れたので腰を休めることもできたわけですが、ともかく、坐薬の効果が地味によくなっている感じ。以前より、効果時間も長く、痛みの取れる具合もよい。おかげで、飲み薬の方は完全にストップできている状況です。一日二回の坐薬のうち二回目を、四時過ぎに研究室で打つことで、帰り道の痛いのがほぼなくなりました。これはありがたい。

 で、本日の硬膜外注射。
 注射の前に効果について聞いたのだけど、注射の直後はただでさえ狭くなっている神経と軟骨の隙間に、さらに注射で薬液を注入するので、神経に対する圧迫は若干強まる、なので、座ったりするときの負担はむしろ大きくなっているとのこと。先週、注射直後に電車で座っていったのはよくなかったわけですね。些細なことではあるけれど、先に言えよと思わないでもない。まぁ、そこまで気が回らなくてもしょーがないよなぁ、日本って飛びぬけて医者の少ない*1先進国らしいし。薬の効果が長くなっているのも、痛みが軽減しているのも、注射の効果と考えてよい、とのことなので、あと二回、しっかり打ってもらうことに。──リハビリについても質問したけど、それはまだやめた方がよい、とのこと。気功の先生も教えてもらってるので、時間があればそっちにいくか。

 なお、勤務先でおもろいことがありました。「ヘルニア的日常」で、講義は立ってやるけど、ゼミは寝転がってやってる、って書きましたが、その後。──ゼミ教室備え付けの机ではいろいろ不都合があるので、事務方にベッド用の別の机を一つ搬入してもらうように頼んでたわけです。月曜日に行ってみるとなかったので、お昼休みに改めてお願いして待っていると、「途中で10分くらい休憩とってもらう形で、どうにか立ってやってもらえませんか」、理由は「事情をしらない学生が覗いたりすると、不真面目な先生がいると誤解を招く危険がある」とのこと。頼まれて「はいそうですか」で立てるんなら、誰がこんなこと頼むかってーの。

 あまりの思いやりのなさにガッカリしましたが、まぁ、無理なものは無理なので、ともかく、教室にある机をベッド代わりにしてゼミはこなす。来週のこともあるので別ルートから手を回して交渉していただきまして、どうやら来週は使えることになりそうです。それも代用の机じゃなくて、障害学生のための休憩用簡易ベッドが。一安心。

*1 : 人口比で。

2008/05/22(木) 時間と自由

過去ログ::雑記 モジモジ
 ベルクソン『時間と自由』を読了。
 難しかったけれど、取り上げられている材料が具体性に富んでいて、イメージはわきやすい。ここで批判されている自由の決定論は、合理的選択理論(を基礎とした経済学)ともパラレルであり、社会科学的なモデル化に何ができないかを考える上でも示唆的。「第一章 心理的諸状態の強さについて」なんて、経済学における効用概念を考える上でもなかなか興味深い。ラーメンを食べたときに得られる何かよきものと、おしゃれな服を着たときに得られる何かよきものは、感覚としては全然違う質を持った感覚であるにも関わらず、経済学の中では「効用」という一つの概念でくくられて、量的に比較可能なものになる。考えてみれば不思議な話ではあるんだよね。

 5月20日には台湾で馬英九新総統が就任したはずなんですが、全然報道がない。>と、相方がぼやいています。

2008/05/21(水) ヘルニア的日常

 出勤日のヘルニア的日課はだいたい次のような感じ。午前中は朝の薬が効いているが、座るのはきつい、てゆーか、無理。電車ではずっと立ってる。研究室について、ちょっと横になる。授業は立ってやるしかないが(座るよりマシだし)、まぁ、朝一か午後一なので、だいたい薬が一番効いている時間帯。なんとかなる。あと、しゃべるというのは、一番痛みを忘れられる。授業やってるときは、もう、すぐにでも治るんじゃないか、という感じ。だけど、ゼミになるとアウトだな。話聞いてると、痛い。というわけで、完全に横になり、板書はゼミ生にやらせてたり。講義が終わると、研究室で少し休憩がてら雑務をこなし、帰る。さて、ここからがクライマックス。

 夕方は、だんだん薬が切れるタイミングでもあり、研究室を出て歩いている間に、電車に乗っている間に、徐々にきつくなってくるんだな。自宅最寄駅ではもう油汗かいてる感じ。最後はヘロヘロになりながら帰宅、リビングに寝転がって痛みが引くのを待つ。この時間帯が一番辛い。──ただ、以前は服用薬しかなかったので、とにかく食事を食べるまではどうしようもなかったのだが、月曜日に坐薬をもらったのが、大変よい。胃が荒れる心配はほとんどなくなるし、効き目が出るのも早い。何より、一番痛いタイミングで(食事前でも)打てるのがいい。

 ただ、坐薬には別の難しさがある。まず、排便すると、一緒に薬を流してしまう。昨日は坐薬を打ってから4時間後に、今朝は1時間後に(我慢できなくて)ウンコしたんだけども、今日の方が薬の切れるタイミングが明らかに早かった。ウンコのタイミングと相談しなければならない。一日二回しか使えない貴重な戦力、無駄にはできない。──とはいえ、薬が切れた状態では、痛くて排便どころではないので、先にウンコ、というわけにもいかない。ウンコが先か、坐薬が先か、それが問題だ。そうならないように、薬が効いている時間帯の計画的な排便が重要である。さらに言えば(言うな)、坐薬の注入自体が排便を催すのでアレである。中途半端に押し込むと、戻ってきてしまうので、結構奥まで押し込まないといけない。これはなかなか厳しい。

 でもまぁ、帰ってきてすぐは、やはり絶望的に痛いんだよな。痛いときには、声を出せ。歯を食いしばると歯が悪くなるし、我慢するとココロに悪い。だから、「アイタタタタタ」と大声で言いましょう。でも、あまり痛がっていると家人が心配するから、ウチでは北斗の拳ごっこをしてます*1。あまりにバカバカしさに、とりあえず心配どころではなくなる。オススメ。

 えーと、ああ、そういえば、今朝やった硬膜外注射。今のところ、なーんの変化もありません。でもまぁ、ヘルニアの治療なんてそんなもんですよ、気長に行くしかないんすよ。チャンチャン。

*1 : 「アタタタタタタタタタタタ、ホワタッーッ!!!」と叫ぶわけです。

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