▼ 2010/02/20(土) お見送り
【日記】
子どもたちと遊びながら、たのしいことはたのしいのだが、それ自体はよく考えるとつまらないわけで、なにがどうたのしいのかと考えると、他のいろんな「たのしい」こととはやはり質が違うということを感じる。やがて成長して大人になるであろうこの子たちの積み重なっていく時間の中に、自分という人間の痕跡を残すことの快楽といったらいいだろうか。歳を取って変わったことの一つは、自分以外の誰かの未来がたのしみであるという感覚を持つようになったことだよな。
李建志『日韓ナショナリズムの解体』を読了。
いままでの体制が「民主的」な「最大公約数」をとるものを目指していたのは事実だろう。そのために東京などの価値観(中央)が地方に押し付けられたのだろう。しかし、筆者の主張はそれとは異なる。筆者がここで強調するのは、すべてのひとが「複数のアイデンティティを持つもの」になることを目指し、それを社会全体で許容しあっていくという「最小公倍数」の社会だ。日本の中央の考え方を、地方在住者や、マイノリティに押し付ける……のではなく、あなた自身が自分のなかの自明だと思っている「普通の日本人」という考え方を改革することで、すべてのひとが「複数のアイデンティティを持つもの」になり得るのであるという地点で考えてほしいわけだ。(p.224)理論的にはこれしかないと思う。ナショナリズムに「開かれた」もへったくれもない。ぜんぶまとめて拒否するしかない。これは当たり前のことだと思う。
ただ、こうした理論的共感と、それを実践レベルで点検していくことはまた別の話だ。本書で取り上げられていた在韓華僑と中華民国の関係は、文字通りまったく考えたことがなかったし、小笠原の話も初めて知った。この本への共感は、絶えざる自己点検*1の作業の引き受けとともにある以外にありえない。その意味で(多少)重い本ではある。けれども、その重みは暖かく、とても心地よいものでもある。ヒジョーにおすすめ。
*1 : 自己批判とか、自己否定とか言うと、別のモノになってしまいそうなので。
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