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MOJIMOJI's BLOG

2010/03/06(土) 暴力と普通の人

日記

 赦しの問題を考えながら、そもそも刑罰というものはなぜ必要なのだろうか、と考える。被害者の苦痛と、加害者の苦痛は、まったく断絶しているのに。被害者(あるいは被害者遺族)の感情なるものがあることは知っているが、その感情があることとその感情に従うことは別の話である。「自分の大事な人が殺されても同じことが言えるのか」とか言われるのだけど、これも変な話だ。言えるに決まっているからだ。たとえば、そういうことがあれば、その犯人にできる限りの苦痛を味わわせたい、と思うかもしれない。しかし、その犯人の苦痛と、僕の苦痛と、殺されたその人の苦痛は、断絶している、としか言いようがない。

 というわけで、必要だ、と言える根拠は、依然としてわからない。わからないが、不要だ、という根拠ももちろんわからないのではあるが。

 というような話は、この本が関係ありそうだ。>小泉義之『弔いの哲学』

 茶漬けさんの記事。記事中の引用を孫引き。
あらゆる条件が揃って、土壇場に追いつめられたら、ひょっとして誰かを殺してしまうかもしれないというのは、/人間である以上、かすかではあれ自分でもあり得ると思います。でも強姦は出来ないですよ。/要するに、相手が真っ青になって悲鳴を上げている状況で、性的に興奮は出来ません。/そこで興奮できる奴が強姦魔なんですよ、大久保清みたいな。
 レイプ事件の一部は、そういう猟奇的というか、異常というか、ある種の極限的な例のものもあるけれども、多くは顔見知りによる犯行であり、親密な関係を利用して行われるくらいには「それとわからない普通の人」によって行われる。「相手が真っ青になって悲鳴を上げている状況」というのは、むしろ、少ない方のはずだ。

 次の記事が参考になる。>潜在的レイピストの特徴とデートレイプ
 この記事で参照されている本のタイトルにもあるように、多くの場合、レイピストは自分の行為を「レイプだとは思っていない」。改めて先の記事のレイピスト的心性のチェックリストを見ると、1なんかは自分でも結構注意せんといかんように感じる。フェミニズムについてある程度知る以前の自分であれば、もっともっと危険な心性を持っていたはずだ。……ついでに言えば、仮にこのチェックリストすべてに当てはまっている場合であっても、「レイピストは自分の行為をレイプだとは思っていない」という事実に意識的になるだけでも、レイプをしてしまう可能性はかなり減らせるように思う。その意味で言えば、「レイプをするのは真性の変態のみ」という発想は、むしろ危険じゃないかと。

 ちなみに、この記事も参考になる。この中で被害に遭うパターンがいくつも紹介されているけれど、裏返せば、レイピストはそうした人の心根につけいってくるわけで、「相手が真っ青になって悲鳴を上げている状況」にならないようにいろいろ考え抜いているとしか思えないところがある。>身近な人からの性暴力やデートレイプ被害に気をつけてほしいタイプ別順位解説

 朝鮮学校の件。良い記事。>「拉致問題への姿勢で公的支援見直し」 橋下知事発言に思う

 冒頭に「「高校無償化」法案の対象から朝鮮学校を外すことが検討されている問題に、在日コリアン社会は落胆している」とあるように、この問題は「検討されていること」自体が、そもそも問題だ。……と同時に、この記事から滲み出る「「観客席」への配慮」に胸が痛くなる。この言葉を発した人たちは、その存在に条件がつけられている人たちであるということ。この言葉を宛てた先は、そもそもそんな条件などなく自由闊達に好きなことを言える人たちであるということ。

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