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	<title>MOJIMOJI's BLOG</title>
	<link>http://www.mojimoji.org/blog/</link>
	<language>ja</language>
	<description></description>
	<copyright>Copyright 2010</copyright>
	<pubDate>Thu, 11 Mar 2010 00:49:07 GMT</pubDate>
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	<item>
		<title>久しぶりに巡回</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0254#tm1268268547</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0254</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Thu, 11 Mar 2010 00:49:07 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0254#a"><span></span></a></h3>
　論文は、たぶん今度こそ、峠を越した。<br>
　書くことはたのしい。締め切りは辛い。しかし、締め切りがないと書かないというのも真実で、「たのしいことなら自主的にやるはずだ」とも言えないあたりが人間てのは不思議だ。……ただ、この「峠を越した」感がくせ者で、途端に残りの作業を先送りしたくなる危険性がある。きちんと詰めるまで集中を解かないこと。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0254#b"><span></span></a></h3>
　とはいえ、組合委員長業務等々最低限度まで活動水準を落として先送りしてる業務も多々あり、少しバランスを見直さないといけない。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0254#c"><span></span></a></h3>
　久しぶりによそさまのブログを見て回る。<br>
　きしさんの記事。&gt;<a href="http://sociologbook.net/log/201003.html#eid467">そりゃ仲良くできればそれにこしたことはないんですが</a><br>
　基本的にきしさんの記事は好きなのですが、絡むのはいつも噛みつくときなので、先方には誤解されているかもしれない。Ａ研もずいぶんご無沙汰、先日の<a href="http://sociologbook.net/log/201002.html#eid464">在留特別許可を考える会のイベント</a>も行きたかったのだが、忙しかったので見送る。<br>
<br>
　もひとつ、ajisunさんの記事。これは爆笑。&gt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/ajisun/20100307">エロかわいいALS</a><br>
　まぁ、ポルノグラフィの問題は考えるべきことがなくはないので、そのあたりはまったく手放しというわけにはいきませんが<span><a title="まぁ、僕は大抵の場合、「考えろ」とは言っても「やめろ」とは言いませんが。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0254#fn1">*1</a></span>。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0254#n1">*1</a> : まぁ、僕は大抵の場合、「考えろ」とは言っても「やめろ」とは言いませんが。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0254#d"><span></span></a></h3>
　ブログを少し止めて、再開すると、潜水して水面に出てきたときのような感覚を覚える。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0254#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>暴力と普通の人</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0252#tm1267872661</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0252</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sat, 06 Mar 2010 09:57:03 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0252#a"><span></span></a></h3>
　赦しの問題を考えながら、そもそも刑罰というものはなぜ必要なのだろうか、と考える。被害者の苦痛と、加害者の苦痛は、まったく断絶しているのに。被害者（あるいは被害者遺族）の感情なるものがあることは知っているが、その感情があることとその感情に従うことは別の話である。「自分の大事な人が殺されても同じことが言えるのか」とか言われるのだけど、これも変な話だ。言えるに決まっているからだ。たとえば、そういうことがあれば、その犯人にできる限りの苦痛を味わわせたい、と思うかもしれない。しかし、その犯人の苦痛と、僕の苦痛と、殺されたその人の苦痛は、断絶している、としか言いようがない。<br>
<br>
　というわけで、必要だ、と言える根拠は、依然としてわからない。わからないが、不要だ、という根拠ももちろんわからないのではあるが。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0252#b"><span></span></a></h3>
　というような話は、この本が関係ありそうだ。&gt;小泉義之<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/430924193X/dhatenejpmoji-22">『弔いの哲学』</a><br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0252#c"><span></span></a></h3>
　<a href="http://d.hatena.ne.jp/chazuke/20100303">茶漬けさんの記事</a>。記事中の引用を孫引き。<br>
<blockquote>
あらゆる条件が揃って、土壇場に追いつめられたら、ひょっとして誰かを殺してしまうかもしれないというのは、／人間である以上、かすかではあれ自分でもあり得ると思います。でも強姦は出来ないですよ。／要するに、相手が真っ青になって悲鳴を上げている状況で、性的に興奮は出来ません。／そこで興奮できる奴が強姦魔なんですよ、大久保清みたいな。<br>
</blockquote>
　レイプ事件の一部は、そういう猟奇的というか、異常というか、ある種の極限的な例のものもあるけれども、多くは顔見知りによる犯行であり、親密な関係を利用して行われるくらいには「それとわからない普通の人」によって行われる。「相手が真っ青になって悲鳴を上げている状況」というのは、むしろ、少ない方のはずだ。<br>
<br>
　次の記事が参考になる。&gt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100221/rape">潜在的レイピストの特徴とデートレイプ</a><br>
　この記事で参照されている本のタイトルにもあるように、多くの場合、レイピストは自分の行為を「レイプだとは思っていない」。改めて先の記事のレイピスト的心性のチェックリストを見ると、1なんかは自分でも結構注意せんといかんように感じる。フェミニズムについてある程度知る以前の自分であれば、もっともっと危険な心性を持っていたはずだ。……ついでに言えば、仮にこのチェックリストすべてに当てはまっている場合であっても、「レイピストは自分の行為をレイプだとは思っていない」という事実に意識的になるだけでも、レイプをしてしまう可能性はかなり減らせるように思う。その意味で言えば、「レイプをするのは真性の変態のみ」という発想は、むしろ危険じゃないかと。<br>
<br>
　ちなみに、この記事も参考になる。この中で被害に遭うパターンがいくつも紹介されているけれど、裏返せば、レイピストはそうした人の心根につけいってくるわけで、「相手が真っ青になって悲鳴を上げている状況」にならないようにいろいろ考え抜いているとしか思えないところがある。&gt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100112/1263297203">身近な人からの性暴力やデートレイプ被害に気をつけてほしいタイプ別順位</a>、<a href="http://d.hatena.ne.jp/kutabirehateko/20100114/1263474034">解説</a><br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0252#d"><span></span></a></h3>
　朝鮮学校の件。良い記事。&gt;<a href="http://mainichi.jp/area/osaka/news/20100306ddlk27070476000c.html">「拉致問題への姿勢で公的支援見直し」　橋下知事発言に思う</a><br>
<br>
　冒頭に「「高校無償化」法案の対象から朝鮮学校を外すことが検討されている問題に、在日コリアン社会は落胆している」とあるように、この問題は「検討されていること」自体が、そもそも問題だ。……と同時に、この記事から滲み出る「「観客席」への配慮」に胸が痛くなる。この言葉を発した人たちは、その存在に条件がつけられている人たちであるということ。この言葉を宛てた先は、そもそもそんな条件などなく自由闊達に好きなことを言える人たちであるということ。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0252#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>健康診断</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0250#tm1267713264</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0250</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Thu, 04 Mar 2010 14:34:24 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0250#a"><span></span></a></h3>
　なぜかこの時期に健康診断を受ける<span><a title="通常は夏。さぼって先送りにしていたら、いつのまにか年度末になってしまった。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0250#fn1">*1</a></span>。胃透視のバリウムはさぼろうかとも思ったが、思い直してやっぱり受けることにする。受けられるのはありがたいことなのだし。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0250#n1">*1</a> : 通常は夏。さぼって先送りにしていたら、いつのまにか年度末になってしまった。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0250#b"><span></span></a></h3>
　終わってから勤務先の図書館で仕事。<br>
　ようやく目処が立ってきた。遅すぎだけど。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0250#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>図書館で仕事</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0249#tm1267626327</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0249</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Wed, 03 Mar 2010 14:25:27 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0249#a"><span></span></a></h3>
　ジュディス・ハーマン<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4622041138/dhatenejpmoji-22">『心的外傷と回復』</a>より。「自衛」論者は100回くらい書き写すとよい。<br>
<blockquote>
　ここでもう一度言っておきたい。生存者が自分を搾取に対して脆弱にしていた自分自身の面の人格なり行動なりを自由に検討できるのは＜犯罪に対する責任があるのは加害者だけである＞ということがしっかりと心に根をおろしてから後でなければならない。外傷を受けた人の弱みや誤りをフランクに尋ねるのは、必ず屈辱や過酷な判定を下されないように守られている環境の中でなければならない。そうでなければまたしても犠牲者を非難する行為にすぎないものになってしまう。……(p.314)<br>
</blockquote>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0249#b"><span></span></a></h3>
　洗濯など諸々済ませて、一仕事してから図書館へ。<br>
　一日ノートを取りまくったが、量が多くなると、さすがにポメラのキーボードでは指が辛い。IMEもアホなのも困りもの。自分で辞書を拡張するか。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0249#c">■コメント（0件）</a></h4>
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</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>エルサレム賞を振り返る</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0248#tm1267544916</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0248</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Tue, 02 Mar 2010 13:50:28 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0248#a"><span></span></a></h3>
　昨年1月に、村上春樹がエルサレム賞を受賞した。それで<a href="http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090125/p1">「村上春樹、エルサレム賞受賞おめでとう!!!」</a>などというふざけた記事を書いたわけだけど。その後、いろいろあって、<a href="http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/archive/200901">1月</a>、<a href="http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/archive/200902">2月</a>は、この関連記事ばかり書いてた。もう1年経つのか。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0248#b"><span></span></a></h3>
　あの頃、一番最初から念頭にあったのは、パレスチナ占領という現実とエルサレムでの文学賞の受賞記念パーティという現実をつなぐものについて。依拠するのは、これらがつながっているという事実であり、批判のターゲットは、これを切断しようとする発想である。その発想を、村上春樹もろとも批判するのか、それとも、村上春樹を踏み台にして批判するのか。それはスピーチ次第でどちらでもよいのであって、テクストを読み込んだ上でやるのであれば、どちらでもよいはずだし、どちらもいけたはずだ。<br>
<br>
　大事なことは、スピーチの内容以上に、そのスピーチがなされる文脈だった。スピーチの内容がどうあれ、そのスピーチはある文脈の上に置かれた。そこでパレスチナ問題に触れて語ったのであれば、少なくともそこにおいては文学とパレスチナ問題をセットで話題にしなければならない状況が生じたのだし、仮に一切触れずに語ったのだとすれば、その「一切触れずに語った」こと自体がパレスチナ問題の文脈において意味を持っただろう。それは、「文学に用がある」「パレスチナに用がない」人においてさえ、パレスチナ問題に対する無視と無関心を破らざるをえない一瞬ではあった。<br>
<br>
　隠蔽する。ということは、いつでも両義的である。隠蔽するふるまい自体が、そこに隠蔽されたなにかがあることを示してしまうからだ。その意味で、シオニストたちにとってもっとも望ましかったことは、エルサレム賞が人々の注目を集めると共に、パレスチナ問題に注視する人たちからのみ黙殺されることだったろう。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0248#c"><span></span></a></h3>
　エルサレム賞は2年に1度行われる。来年は誰が受賞するのだろう？<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0248#d"><span></span></a></h3>
　キム・ヨナは引退ですか。フィギュアでは珍しいことではないようなんだけども。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0248#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>「反日上等」とか</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0247#tm1267528230</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0247</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 01 Mar 2010 23:42:20 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#a"><span></span></a></h3>
　いしけりあそびさんとflurryさんのやりとり。とりあえず、次の3つのみ。&gt;<a href="http://h.hatena.ne.jp/id/isikeriasobi">いしけりさん</a>→<a href="http://h.hatena.ne.jp/flurry/9258646768072227424">flurryさん</a>→<a href="http://h.hatena.ne.jp/id/isikeriasobi">いしけりさん</a><br>
　いしけりさんの2つめの発言より。挿入句が多いので、読みやすいようにいくらか編集してます<span><a title="訂正:「furry」→「flurry」。失礼致しました。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#fn1">*1</a></span>。<br>
<blockquote>
抑圧されている当人は、大声出したがります。抑圧が強ければなおさらです。……でも、感情にまかせて大声の出し合いしてたら、絶対に外国人は負ける。どこまでいっても少数者ですから。「善良な外国人」だってそうなんだから「善良じゃない人」なんてなおさらです。ズタズタにされますよ。／だから、安全地帯にいて、これに関わろうとする人間……の義務は……、彼らの目の前で味方のふりをして、一時的なカタルシスを与えるのではなく、彼らの罵声に耐えて、それを受け止めつつ、彼らの声を、なんとか潰されないように社会に届けることだと思っています。これはしんどい作業ですが……、黙々とその姿勢をつらぬけば、相手はわかってくれます。自分も嫌な思いをしますが……、そんなの気にしてたらやっていけない。ほとんど徒労に終わりますし、時には依頼者にツバはきかけられますが、いつかきっといいことある。<br>
</blockquote>
　いしけりさんの書いていることは大事なことで、誰かの支援をするときには大なり小なりこういう側面はある<span><a title="「抑圧されている当人」は「大声」どころか「声が出せない」こともしばしばなので、それはどうなのか、というのもあるけども。まぁ、本論と関係ないので。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#fn2">*2</a></span>。仮に正しいとしても、正しいことが正しいというだけで通る世の中ではないので、正しいことを通すためには、正しさとは別のなにかに依拠して通すことになる。それはたとえば法であり、法とは国家権力に由来するものであり、つまり、国家権力と戦う場合にも、国家権力を使う、ということになる。ゆえに、「感情にまかせて大声の出し合いしてたら、絶対に外国人は負ける。どこまでいっても少数者ですから」というのは、まったくそのとおり。<br>
<br>
　整理するなら。仮に、「大声」が通らないことがそもそもおかしな状況だとしても、そういうおかしな状況で物事を通そうとするなら、「大声」が通らないという現実を前提して「戦略」を考えるしかない。……ただ、もう周知のことだと思うけど、こういうことを書けば書くほど、「「大声」が通らない」という状況を前提した言説を垂れ流すことになる。さらに、こういうことをわからない誰かを批判する場合には、自らが「「大声」が通らない」状況の代弁者となり、その状況に対する（意図せざる）擁護者のふるまいになっていく。排外主義者がいしけりさんのコメントにスターをつけることの背景の、少なくとも一つは、こういうものであって。いわゆる<a href="http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080404/p1">「観客席」問題</a>なわけですが。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#n1">*1</a> : 訂正:「furry」→「flurry」。失礼致しました。</p>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#n2">*2</a> : 「抑圧されている当人」は「大声」どころか「声が出せない」こともしばしばなので、それはどうなのか、というのもあるけども。まぁ、本論と関係ないので。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#b"><span></span></a></h3>
　いしけりさんがこの厄介な両義性に配慮しているようには見えなかったのだけど、それはさておき。両義性があろうがどうであろうが、いしけりさんが指摘した現実はあり、その中でどうするか、という話は残る。だから、個人の責任でブログで記事を書くレベルはともかく、実際にデモなどの現場に出かけていく段階であれば、そこには共有された（されるべき）問題があり、それは「個人の責任で」に収まりきらない。だから、「反日上等」というのは、たとえば、僕ならば使わないし、デモの主催者が懸念を示す、自粛を要請する、というのはよくわかる。<br>
<br>
　ただ、昨年の論争のときには、（いしけりさんは知らないが）いしけりさんの同調者に日の丸好きな人とかいて、日の丸擁護の立場からの非難と当事者重視の立場からの非難をゴチャマゼにしてる人がいたりした。当然、先に述べた両義性に配慮するなんてこともなかったわけで。少なくとも、話がややこしくなったことの責任が、「反日上等」擁護者にのみあると理解する人は最悪、くらいには思う。<br>
<br>
　と同時に、「反日上等」批判者は、「観客席」を説得の相手とみなす一方で、「反日上等」擁護者を、そうは見なさない。一方的に指示し、それを聞かないなら非難し、「来るな」と言う＝排除する。というわけで、「反日上等」批判者の言説は、「反日上等」擁護者への「運動として」どうなのよ、というものではあった。それはダブスタだろ、というのはいつも思う。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#d"><span></span></a></h3>
　話を戻して。というわけで、線引きをするしかない。僕の場合は、自分のブログなどでは「反日上等」だろうがなんだろうが、好きなように表現している。ただ、その場合には、できるだけ他の人と「つながらない」ことが大事だと思ってる<span><a title="好意的なコメントは割と放置する傾向があるのは、そのせいでもある。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#fn3">*3</a></span>。実際に外に出て人とつながって行動する場合には、具体的に何を取るための運動なのかを考えて、それこそ「観客席」向けの配慮が必要だと思ってる。僕の「観客席」批判は、「観客席」対策が不要であることを主張するものではない。具体的にどのような「観客席」対策をするかは、書かないけれど。<br>
<br>
　なぜ書かない。こういうことは、一緒にデモをやる仲間と企画の相談レベルで話されるべきことであって、ネットの公開の場でやれば、それは「観客席」を前提した話をするということを通じて、パフォーマティブに「観客席」を強化するから。これがつまり、両義性。<br>
<br>
　ただ、「観客席」そのものへの批判は必要だと思うので、僕はブログではそういうことを書いている。逆に言えば、自分が直接に関わる運動の話はブログでは（あまり）できない。それは「観客席」への配慮を含んだものになるしかないんだもの。……なので、こう書くと驚くかもしれないけれど、いしけりさんが外国人問題で精力的に情報発信しはじめたとき、あやういなぁとも思ったのだ。あんな風にクラッシュするとは思わなかったけど、少なくとも、まったく予想外というわけでもなかった。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#n3">*3</a> : 好意的なコメントは割と放置する傾向があるのは、そのせいでもある。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#f"><span></span></a></h3>
　あと、去年の、村上春樹のエルサレム賞受賞スピーチへの批判なんかとも関係するな。まぁ、もう時間ないので、これは措いておく。そのうちに。<br>
<br>
　つーか、いつも思うが、こんなもの書いてる場合なのか。どうなのか。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0247#h"><span></span></a></h3>
　白州次郎はすごいんだけど、白州次郎の生涯をドラマ化したら「すごい」だけの話では終わらないわけで。みたいな。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0247#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>測ることと測れないもの</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0246#tm1267343857</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0246</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 28 Feb 2010 02:54:23 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0246#a"><span></span></a></h3>
　冬期五輪もそろそろ終わりらしく。<br>
<br>
　五輪前は、いつになく静かだなーと思っていたんだけど、始まるとやっぱり騒々しく。でもまぁ、騒々しいぐらいの関心を集めているからテレビつければ競技も見られるわけで。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0246#b"><span></span></a></h3>
　女子フィギュアは、毎度のことながら安藤美姫を応援してたのですが、上位二人はまるで別世界ですな<span><a title="点差こそ、2位と3位はそれほど差がなかったけれど。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0246#fn1">*1</a></span>。<br>
　フィギュアの採点に関しては、（最近ここでの紹介が妙に多い）font-daさんがおもしろい記事を書いている。&gt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/font-da/20100226/1267190030">フィギュア・スケートと採点</a><br>
<br>
　採点って、これに限らず（僕が半年に一度やっていることも含めて）そもそも不条理なんだけど、それでもやる、ってところがあるわけで。その場合大事なことは、基準の明確化と公表で、かつ、その基準の絶えざる再検討だ。「そもそも点数をつけない」にならないのはなぜかというと、「なにについて点数をつけるか」を争うためには、とにかく点数をつける、という枠組み自体は必要なものだからだ。たとえば、font-daさんの記事の中で、プルシェンコによる現行の採点方式への批判（と高橋大輔の同調）のエピソードが出ているけれども、こうした議論も含めて、「点数をつける」という大きな枠組みがあるからこそ出てくる議論なわけで。だから、「採点方式が気に入らないから出ない」という話にもならない。<br>
<br>
　そして、そういうレベルで異なるモノサシが互いに競い合っている状況があるってのは、すこぶる健全なことだと思う。その中から一つのモノサシが「不条理に」選ばれて順位やメダルの色は決まるけれど、そういう話とは別に、僕らはフィギュアスケート競技の多面的な見方を学ぶことができる。それはともかくとして、現行の採点方式の中で、文句のつけようのない高い完成度の演技をやりきったキム・ヨナはすごいのでしょう。……といっても、VTR見ながら眠りこけるような僕には関係のない話ですが。わっはっは。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0246#n1">*1</a> : 点差こそ、2位と3位はそれほど差がなかったけれど。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0246#c"><span></span></a></h3>
　測るとは、測れないものを発見するためにやることだ。測って測れたつもりになるのも、そもそも測らないのも、どっちでもよくない。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0246#d"><span></span></a></h3>
　それはともかく。<br>
<br>
　高校無償化で朝鮮学校を外すなどという話が出ているそうだが、とんでもない話である。鳩山が「国交のない国」云々などとぬかしていたが、在日朝鮮人の国籍って北朝鮮籍ではないはずだ。どうも、基本的事実のレベルでいろいろと知らないことだらけなんじゃないか、この人は。ついでに言えば、そもそも学校に通っているのは国籍選択以前の「子ども」である。まぁ、「国籍」という概念自体くそ食らえ、という話もできますが、それはともかく。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0246#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>あたたたた</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0245#tm1267050294</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0245</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Wed, 24 Feb 2010 22:24:54 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0245#a"><span></span></a></h3>
　昨日はエライ暖かかった。<br>
<br>
　関係ないが、「あたたかった」×、「あたたたかった」、三度目やっと「あたたかかった」で入力成功。なんかボケてんな。<br>
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<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0245#b"><span></span></a></h3>
　昼は会議。夜も会議。合間に仕事。<br>

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<hr>
<h4><a href="/blog/0245#c">■コメント（0件）</a></h4>
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]]></description>
	</item>
	<item>
		<title>「和解」の中のナショナリズム</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0244#tm1266816445</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0244</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 21 Feb 2010 15:19:48 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0244#a"><span></span></a></h3>
　この間、いろいろ考えてきたが、朴裕河の提起した問題は重要なものであった、ということには同意できる。で、朴裕河の難点はこのあたりにありそうだな、というのが見えてきた気がする。とりあえず、まだ拾い読みしかしていないけれども、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4309243517/dhatenejpmoji-22">朴裕河『反日ナショナリズムを超えて』</a>の最後の一節。<br>
<blockquote>
　民族解放の日から五五年、もはや征服されていた期間の三六年よりもずっと長い歳月が流れ去った。五五年といえば、これを人間の年齢に当てはめると、解放後の私たちは中年にさしかかってしばらく経ったところである。<br>
　そろそろこの辺りで、中年の成熟に任せて傷から自由になりたいとは思わないだろうか？　トラウマとは距離を置いて、被害者意識に根ざすか、もしくは紋切り型になっている日本観から脱け出し、あるがままの彼らの姿を見てみたくはないだろうか？　屈辱的な被植民地化の道をたどることになってからというもの、ひょっとしたら一〇〇年間も痛みに耐えてきたかもしれない私たち自身を、そろそろ癒してやりたくはないだろうか？　トラウマを踏み越えて立ち上がったその日こそ、おそらく私たちに本物の独立が可能になるはずである。<br>
　日本と望ましい関係を構築するという課題は、彼ら日本が強大国だからではなく、地理的に隣同士であるという韓日間の宿命を賢明に受け入れるためにも必然と考えるべきことである。何より、お隣さん同士の間柄は悪いものと決まっていた歴史の愚を、二一世紀になってまで引きずり続けないためにも、それは必要なのである。<br>
　二一世紀の今こそ、隣国としての宿命を賢明に受け入れたいものである。(p.242)<br>
</blockquote>
　いくつかの問題点が含まれている。まず第一に、朴裕河は一体誰に向かって語りかけているのだろうか？という点である。韓国社会に対して、その社会を構成する一人一人に対して語りかけているのではあるだろうが、たとえば、従軍慰安婦とされた女性たちを具体的に想起してみると、そうした人たちへの語りかけにはなっていない。そういう人たちにとっては「民族解放の日から五五年」などということはどうでもよい話だろう。必要なことは、真相究明と責任者処罰と補償であり、それがあったとしてさえ、和解しうるかどうかは別の問題だ。「民族解放の日から」といった発想をするのは、おそらく、「普通の韓国人」意識を持つ韓国社会のマジョリティだろう。<br>
<br>
　つまり、この文章は韓国社会のマジョリティに（のみ）語りかける形式になってしまっている。それはそれで良いと言うとしても、その上で、「普通の韓国人」意識自体は批判されていないというところまでは看過できない。これでは、「反日ナショナリズム」を超えて「健全なナショナリズム」を目指しているように読めてしまう。そして、この難点は<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4582702651/dhatenejpmoji-22">『和解のために』</a>にも引き継がれてしまっているように思う。この点は、やはり、無視できない。……他方、李建志は、この難点を免れているように思う。<br>
<br>
　もう一つ、朴裕河は和解についてかなり楽観的に見ている点が気になる。しかし、<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4000234501/dhatenejpmoji-22">阿部利洋</a>や<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/479725081X/dhatenejpmoji-22">ミノウ</a>なんかを読むと思うが、大事なことは「和解の不可能性」の自覚だ。にも関わらず、真相解明や責任者処罰や補償に向けた努力がなされ、その中で、社会的関係が変容する。その可能性に賭ける。せいぜい、この程度のことしか言えない。和解の必要条件に向けた努力がなされるとしても、それは和解を約束しないし、それどころか「和解に向けた」努力と位置づけることさえ難しい<span><a title="ある人は、「復讐として」真相解明の仕事に従事したりするのだから。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0244#fn1">*1</a></span>。……これはおそらく、第一の問題と無関係ではない。そもそも、ナショナリズム同士の対立における敵対感情には、元々そうであるべき必然性などない、それは解消どころか、雲散霧消したって不思議ではないもののように思える。ただ、植民地統治や戦争による具体的な被害の問題はこれとは違う。そのレベルの問題に対しては、朴のような和解論は適用のしようがないだろう。<br>
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	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0244#n1">*1</a> : ある人は、「復讐として」真相解明の仕事に従事したりするのだから。</p>
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<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0244#c"><span></span></a></h3>
　<a href="http://www.chikumashobo.co.jp/pr_chikuma/0807/080704.jsp">李建志『「複数のアイデンティティ」を生きるということ』</a>@筑摩書房PR誌ちくま。<br>
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<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0244#d"><span></span></a></h3>
　福山の龍馬は、結構好きなんだが、上手いかと言われると、そうとも言えず。カバチは、やっぱり、堀北真希がすばらしい。で、明日は問題のコード・ブルーだ。<br>

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<h4><a href="/blog/0244#c">■コメント（0件）</a></h4>
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]]></description>
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		<title>お見送り</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0243#tm1266684068</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0243</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sat, 20 Feb 2010 15:29:11 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0243#a"><span></span></a></h3>
　春節休暇で来日してた親戚ご一行は本日帰国。<br>
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<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0243#b"><span></span></a></h3>
　子どもたちと遊びながら、たのしいことはたのしいのだが、それ自体はよく考えるとつまらないわけで、なにがどうたのしいのかと考えると、他のいろんな「たのしい」こととはやはり質が違うということを感じる。やがて成長して大人になるであろうこの子たちの積み重なっていく時間の中に、自分という人間の痕跡を残すことの快楽といったらいいだろうか。歳を取って変わったことの一つは、自分以外の誰かの未来がたのしみであるという感覚を持つようになったことだよな。<br>
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<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0243#c"><span></span></a></h3>
　<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4480842861/dhatenejpmoji-22">李建志『日韓ナショナリズムの解体』</a>を読了。<br>
<blockquote>
　いままでの体制が「民主的」な「最大公約数」をとるものを目指していたのは事実だろう。そのために東京などの価値観（中央）が地方に押し付けられたのだろう。しかし、筆者の主張はそれとは異なる。筆者がここで強調するのは、すべてのひとが「複数のアイデンティティを持つもの」になることを目指し、それを社会全体で許容しあっていくという「最小公倍数」の社会だ。日本の中央の考え方を、地方在住者や、マイノリティに押し付ける……のではなく、あなた自身が自分のなかの自明だと思っている「普通の日本人」という考え方を改革することで、すべてのひとが「複数のアイデンティティを持つもの」になり得るのであるという地点で考えてほしいわけだ。(p.224)<br>
</blockquote>
　理論的にはこれしかないと思う。ナショナリズムに「開かれた」もへったくれもない。ぜんぶまとめて拒否するしかない。これは当たり前のことだと思う。<br>
<br>
　ただ、こうした理論的共感と、それを実践レベルで点検していくことはまた別の話だ。本書で取り上げられていた在韓華僑と中華民国の関係は、文字通りまったく考えたことがなかったし、小笠原の話も初めて知った。この本への共感は、絶えざる自己点検<span><a title="自己批判とか、自己否定とか言うと、別のモノになってしまいそうなので。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0243#fn1">*1</a></span>の作業の引き受けとともにある以外にありえない。その意味で（多少）重い本ではある。けれども、その重みは暖かく、とても心地よいものでもある。ヒジョーにおすすめ。<br>

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	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0243#n1">*1</a> : 自己批判とか、自己否定とか言うと、別のモノになってしまいそうなので。</p>
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<h4><a href="/blog/0243#c">■コメント（0件）</a></h4>
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