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	<title>MOJIMOJI's BLOG</title>
	<link>http://www.mojimoji.org/blog/</link>
	<language>ja</language>
	<description></description>
	<copyright>Copyright 2010</copyright>
	<pubDate>Tue, 31 Aug 2010 00:26:02 GMT</pubDate>
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		<title> 2010-08-31</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0385#tm1283214362</link>
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		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 30 Aug 2010 22:04:00 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#a"><span></span></a></h3>
　今日も暑いです。一日負けずに、ほどほどに頑張りましょう。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#b"><span></span></a></h3>
　「専門は何ですか？」と聞かれて困るという研究人生もどうかとは思うわけだが。「研究テーマは何ですか？」ならハッキリしてる。「再分配」。「再分配とはなにか。再分配をしなさい。再分配をした方がよい」をどう言うかについて考えています。<br>
<br>
　しかし、そもそも「再分配ってなによ」というのが普通の感覚だよな。<br>
<br>
　経済というのは、つまりは「働ける人が何かを作り、みんなで分ける」ということ。生産して、分配する。で、現代社会においては、何を生産するか・誰にどれだけ分配するかが、市場というしくみを通じて行われる。ところが、市場が実現する分配では困ることもある。足りない人が出てくる。たとえば重度障害者はたくさんを必要とするのだが、市場を通じては、その人のところにあまり多くは分配されない。そのとき、「足りない人の取り分を増やす、そのために、足りてる人の取り分を減らすこともある」というのが再分配、つまり、「再び分配して調整する」ということ。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#c"><span></span></a></h3>
　<a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383" title="記事指定 ">昨日のデイヴィドソン話</a>の続き。<br>
<br>
　こう考えると、言語って結構頼りない。しかし、私たちがそれでもやっていけるのは、私たちが一つの世界の中にいて、だいたい同じような器官を通じて世界を感受しているという事実によるのでしょう。＜雨が降っている＞ときに生じるさまざまな感覚刺激があり、そこに私とは区別された別の誰かがいることに由来するさまざまな感覚刺激があり、その人もまた私と同様に＜雨が降っている＞と関係したさまざまな感覚刺激を受け取っている。つまり、「(a)から(b)が導ける」と前提しちゃっても、期待を外すことがあまり起らない。だから、それなりに試行錯誤すれば、だいたい使い物になる言語が手に入る。概ね、こういうもんだと理解しています。<br>
<br>
　ただし「視覚を持たない人」や「聴覚を持たない人」もいるわけで、人それぞれ異なる感覚刺激を受け取っていることは珍しくありません。もっと微妙な差異ならいくらでもあるでしょう。それゆえに誤解や驚きを経験することは多々あります。より抽象的な概念に関わる表現なら、どうでしょう。しかし、差異を表現できるためには、共通に使える言語がないといけません。つまり、ここまでの話は「似た感覚を持つからこそ、共通の言語が作れる」という話だったのですが、「共通の言語があるからこそ、異なる感覚を表現したりそれを理解したりできる」という話がいります。これは寛容の原理云々の先の話です。このあたりをデイヴィドソンがどういう議論してるかはわかりません。ただ、私見では、ここから先の話は実際の言語に関わって実証的に考えていくのも実りが多いようには思います（認知言語学とか）。レイコフとかの話になりましょうか。<br>
<br>
　少し先に進みます。言語というのは、有限個のパーツ、それも、話し手と聞き手が事前にある程度共通の認識を持ちうる範囲内の量のパーツを組み合わせて、それこそ無限に多様な内容を表現できることが要請されるわけです。これは相当に困難な課題ですが、レイコフによれば（めちゃくちゃ大雑把に言っちゃえば）、言語は「人間がメタファーを通じて理解する」能力を最大限に利用することでこれを可能にしています。認知言語学の本を読むと、たとえば、本来空間的関係を把握する意味が込められているinとかonとかatとかの前置詞に、空間的関係から類推できる別種の多様な関係を意味させるように使うとか、そういうしかけがたくさん出てきます。なので、デイヴィドソン流の言語が最初にあって、それを発展させてもっと多様な表現ができるように組み立てられている、と考えるといろいろ辻褄が合います<span><a title="本当はいろいろ検討してみたいのですが、10年後くらいに抱えている仕事が片付いてたらやろうかと思います。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#fn1">*1</a></span>。<br>
<br>
　まとめると。(1)存在があり、存在についての認識があり、そこから認識の表現たる言語が生まれます。まず、認識のところであまり差が生じない、そういう対象についての言語表現が、まずは、作られる。(2)そこを基盤として、言語表現から逆に認識の違いに到達できる、認識の違いと観察からより正しい認識に到達できる、そういう可能性が開ける、というような話ですね。もちろん、(1)と(2)のプロセスは両方が同時に行われているのを常態と考えるのが正しいと思いますが。で、デイヴィドソンの議論とは、すべての基盤としての(1)の部分を可能にしているのが寛容の原理だ、という話かと。議論における寛容みたいな話ってのは、(2)のレベルの話をしているんだと思うわけですね。(1)と(2)のレベルの寛容ってのは、関係はしてそうなんですが、「その説明には手間をかける必要がある」というくらいには別の話だろうとも思います<span><a title="誤用とまでは言わんけど、デイヴィドソンを引き合いに出す意味はないわね。いわゆる寛容さの話をしているだけなら。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#fn2">*2</a></span>。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#n1">*1</a> : 本当はいろいろ検討してみたいのですが、10年後くらいに抱えている仕事が片付いてたらやろうかと思います。</p>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#n2">*2</a> : 誤用とまでは言わんけど、デイヴィドソンを引き合いに出す意味はないわね。いわゆる寛容さの話をしているだけなら。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0385#p4"><span></span></a></h3>
　ただ、歴史修正主義者の議論とか読んでると、こういうところでデイヴィドソンの名前が出てくる感じはわからなくはないのだよな。たとえば、「南京大虐殺」という記号が、「1937年12月から翌年にかけて南京で生じた出来事」なのだが、具体的に何月何日から何月何日までを対象とするのかは、論者によって若干の差異がある。また、この場合の南京とは、「南京城内＋城外の広大な範囲」を指す。これに対して、修正主義者はより短い期間を対象とし、範囲を南京城内に限定して議論をしていることがよくある。同じことを何度指摘されても直さない人も珍しくない。寛容の原理という意味で言えば、<strong>あいつら寛容過ぎるんじゃないのか</strong>、とさえ思うわけで。……ただ、繰り返すけど、デイヴィドソンの寛容の原理に関係しているっぽいけど、やっぱり別物ではあるのだ。もうめんどいので、あまり深めずここで終わる。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0385#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-30</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0383#tm1283206450</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0383</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 30 Aug 2010 01:21:52 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#a"><span></span></a></h3>
　毎日同じこと書くのもイヤなのだが、事実がそのとおりなんだからしょうがない。暑い。今日も大変に暑い。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#f"><span></span></a></h3>
　ディヴィドソンの寛容の原理について。おおむね以下のように。森本浩一<a href="http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/414009314/dhatenejpmoji-22">『デイヴィドソン』</a>を参考に。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#b"><span></span></a></h3>
<blockquote>
(a) xは時刻tにおいて「シュプルラグ」を真とみなしており、しかも時刻tにおいてxの近くで雨が降っている。<br>
(b) xが時刻tにおいて発話した「シュプルラグ」が真であるのは、時刻tにおいてxの近くで雨が降っている場合その場合に限る。<br>
(c) （当の言語のいかなる話し手がいかなる時点に発話したとしても）「シュプルラグ」が真であるのは、雨が降っている場合その場合に限る。<span><a title="森本50～51ページより。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#fn1">*1</a></span><br>
</blockquote>
　観察データとして集めることができるのは(a)ですが、私たちはそこから(b)が導けるかのように解釈するわけです。それが可能なら、(a)と同様のデータがたくさんあれば、(c)という認識に到達することもできそうです。しかし、(a)から(b)が導けることを保証するものはありません。私たちはどのようにこの溝を跳び越えるのでしょうか？<br>
<br>
　ここでおもしろいのは、デイヴィドソンは「どうやったらこの溝が跳び越えられるか」などとは考えないことです。「コミュニケーションが成立するとは、この溝が跳び越えられるということなのだ」といきなり言い切ります。実際に飛び越えられているかどうかは知らないが、飛び越えたことにする。これが寛容の原理です。そうしないと、どんな解釈も始まらないからです。<br>
<br>
　しかし、「シュプルラグ」が「雨が降っている」の意味でない場合というのは、いかにもありそうです。その場合はどうなるのでしょうか？もちろん、いろいろと不都合が生じるでしょう。たとえば、「シュプルラグ」と言うので傘を持って出てみたら、雨は降っていない。あるいは、雨が降っているので「シュプルラグだね」と言ってみると、首を振って否定された<span><a title="首を振るのが否定を意味する、ということはわかっているものとしましょう。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#fn2">*2</a></span>。なんだかうまくいかない。それでは、ということで、僕らは先の(a)(b)(c)を次のように置き換えて考えてみるかもしれません。<br>
<blockquote>
(a') xは時刻tにおいて「シュプルラグ」を真とみなしており、しかも時刻tにおいてxの近くで日が翳っている。<br>
(b') xが時刻tにおいて発話した「シュプルラグ」が真であるのは、時刻tにおいてxの近くで日が翳っている場合その場合に限る。<br>
(c') （当の言語のいかなる話し手がいかなる時点に発話したとしても）「シュプルラグ」が真であるのは、日が翳っている場合その場合に限る。<br>
</blockquote>
　「雨が降っている」ことと「日が翳っている」ことは同時に起ることが多いとすれば、最初の勘違いもありそうな話ではあります。そこで、(a')(b')(c')で考え直してみる。このとき、その後のコミュニケーションで齟齬が生じないならば、なるほど、「シュプルラグ」は「日が翳っている」という意味でよさそうです<span><a title="とはいえ、「雨が降っている」かつ「日が翳っている」ときに、「雨」より「日差し」の方により強い関心を向ける文化というのは、ちょっと変わった文化だなぁ、とは思うわけですが。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#fn3">*3</a></span>。<br>
<br>
　大事なポイントは、「シュプルラグ＝雨が降っている」ではどうもマズイらしいと気づくためには、寛容の原理にしたがっている必要がある、ということです。別様に言えば、寛容の原理を採用しない場合、解釈に失敗することさえできない。コミュニケーションを成立させたいと思うなら、寛容の原理を採用しないわけにはいかないわけです。<br>

</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#n1">*1</a> : 森本50～51ページより。</p>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#n2">*2</a> : 首を振るのが否定を意味する、ということはわかっているものとしましょう。</p>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0383#n3">*3</a> : とはいえ、「雨が降っている」かつ「日が翳っている」ときに、「雨」より「日差し」の方により強い関心を向ける文化というのは、ちょっと変わった文化だなぁ、とは思うわけですが。</p>
</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0383#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-28</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0381#tm1282950183</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0381</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Fri, 27 Aug 2010 23:03:03 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0381#a"><span></span></a></h3>
　本日はオープンキャンパス。しかし、暑いねぇ。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0381#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-27</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0380#tm1282864531</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0380</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Thu, 26 Aug 2010 23:11:16 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0380#a"><span></span></a></h3>
　リフレ（とよばれる金融緩和）が需要を生み出すのは、金利低下等により「貯蓄より消費を有利にする」ことによる消費増、「投資しやすくする」ことによる投資増があるから。これが所得の拡大を生み、……という話。けど、こういうメカニズムはもちろんあるけど、それはどの程度の大きさなの？という問題。<br>
<br>
　消費行動も投資行動も金利だけでは決まらない。もちろん、実質金利（金利とインフレ期待）だけで決まるわけでもない。発展途上の社会と違い、現代日本では、購買力のある層は生活に必要な資本をほとんど持ってる。そもそも、消費が貯蓄より有利として、一体何を買うの？という話。中間層以上でありうるニーズというのは、どうでもよい贅沢品需要でなければ、「現在水準の生活の保障」。実物経済的要因では、消費が増える要素はないし、ゆえに、投資が増える要素もないことになる。<br>
<br>
　だから、金利が安くなったとしても、インフレ期待が生じたとしても、直接消費行動に向かう動機は小さいと考えられる。今の生活を将来にわたっても続けたい、と考えるなら、（利回りの悪さに文句をいいつつ）貯蓄するし、あるいは、保険商品とか利回りのよい金融商品とかにお金は向かう。一方、金があれば実際に財やサービスを買うであろう層には金がない。だから、リフレで直接に増える消費は比較的小さいと思われる。そして、消費が増えないなら、投資が増えるはずもない。<br>
<br>
　かくして消費も投資も、リフレ直接の効果としてはたいして増えるとは思えない。では、どうして2005年あたりから景気回復したか。金融緩和で追加された流動性が株や土地に流れ込み、それらの価格を押し上げた。これがバブル。それで金持ちになった人たちが、増えた資産の一部を消費したため。つまりは、バブル経由の脆弱な需要でしかなかったということ。バブルがはじけて消滅し、また、その消滅のショックが一層消費・投資を冷え込ませることになった。同じことをもう一回やれ、というなら、はなはだ無責任でしょう。<br>
<br>
　ちなみに、ここでの資産価格の上昇は、実物要因に関係なく、金融要因のみによるものとなる。もちろん、「どの」資産の価格があがるか（土地か株か資源か通貨か）はその都度の実物要因も加味されるが、全体としての資産価格上昇は金融要因しか働いてない。つまり、バブル以外ではありえない。どの資産における価格上昇がバブルなのかはわからんとしても、資産価格全体の上昇傾向を見てもバブルかどうかわからないというのは、理解できない。<span><a title="さらに「ちなみに」の話をすれば、「ある資産の価格」と「資産価格全体の趨勢」の違いは、リフレ派がたびたび強調する「価格」と「物価」の違いに対応する。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0380#fn1">*1</a></span><br>
<br>
　なので、そもそも「リフレと再分配を別々に考える」ってこと自体が、どこか重大な見落としがあるのではないかと考えるべき。実質金利低下の効果が実物レベルの「買う物ない」「将来不安」の効果より大きいかどうかが問題なのに、効果の有無の話だけで満足している。これは本当に変。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0380#n1">*1</a> : さらに「ちなみに」の話をすれば、「ある資産の価格」と「資産価格全体の趨勢」の違いは、リフレ派がたびたび強調する「価格」と「物価」の違いに対応する。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0380#b"><span></span></a></h3>
　よく経済学で「フリーランチは存在しない」って言うんだけど、これは誤解を招いてる気がする。「無料のランチは存在しうるけど、費用ゼロのランチは存在しない」。ならわかるが。「費用ゼロのランチ」を求めるボランティア論者、「無料ランチは存在すべきでない」かのように言う市場原理主義者。正反対の意味でどちらも間違い。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0380#c"><span></span></a></h3>
　解雇規制って、労働者と資本家の力関係、もう少し詳しく言っても正規労働者と非正規労働者と資本家の力関係なのに、資本家隠したまま正規労働者の既得権問題としてしか語らない言説が多い。資本への課税強化その他をどうするかをセットで語るべき。労働市場しか視野に入れない部分均衡脳で語らない事。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0380#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-26</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0379#tm1282817916</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0379</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Wed, 25 Aug 2010 22:22:51 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0379#a"><span></span></a></h3>
　10時半から打ち合わせ。まず、その準備の確認。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0379#b"><span></span></a></h3>
　打ち合わせは充実。秋からの講義がホントにたのしみ。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0379#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-25</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0378#tm1282774931</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0378</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Wed, 25 Aug 2010 22:22:11 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0378#a"><span></span></a></h3>
　はてなを更新。まぁ、スゴいタイトルですけど。&gt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20100825/p1">ハルキも泣かずば撃たれまい</a><br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0378#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-23</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0377#tm1282574626</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0377</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Mon, 23 Aug 2010 00:54:00 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0377#a"><span></span></a></h3>
　落書きしはじめたら、ノってしまった。&gt;<a href="http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20100823/p1">「価値をめぐる争い」をめぐる争い</a><br>
<br>
　これから大事な仕事で出勤。少し急ぐ。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0377#b"><span></span></a></h3>
　13時から17時半までガッツリ団交。削って削って削って削って、それでやっと小さいことが取れる。雨だれ石をうがつ。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0377#c">■コメント（0件）</a></h4>
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</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-22</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0376#tm1282515789</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0376</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 22 Aug 2010 12:20:22 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0376#a"><span></span></a></h3>
　久しぶりに<del>再会</del>。もとい、再開。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0376#b"><span></span></a></h3>
　昨日は真田幸村戦没の地・安居神社と四天王寺の東にある関帝廟にお参り。よく考えると日中を代表する軍神二人をお参り。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0376#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-10</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0375#tm1281448790</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0375</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Tue, 10 Aug 2010 13:57:31 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0375#a"><span></span></a></h3>
　昨日は松本城を見に行く。天守閣の中が狭いわ人多いわ子どもは泣くわ大人もブーブー言い出すわ列は前に進まないわ、挙げ句授乳し始めるお母さんは出てくるわの阿鼻叫喚状態。まぁ、城はおもしろかった。夜は長野に移動。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0375#b"><span></span></a></h3>
　本日午前中は小諸城を見に行く。小田原攻めで手柄を立てた仙石秀久が大名に返り咲いた地。うちは夫婦で『センゴク』の愛読者なので<span><a title="九州で大ポカをやらかす前に領していた高松城も見に行った。" href="http://www.mojimoji.org/blog/0375#fn1">*1</a></span>。城下町から川下の谷の間に下がっていくという珍しい格好の城で、これがなかなかおもしろい。「穴城」と言うらしい。<br>
</div>
<div>
	<p><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0375#n1">*1</a> : 九州で大ポカをやらかす前に領していた高松城も見に行った。</p>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0375#c"><span></span></a></h3>
　午後は上田城へ。真田一族ゆかりの地で、町中六文銭と真田十勇士だらけなのだが、そっちのけで仙石秀久の鎧を探したり、「「不惜身命」より、やっぱ「命どぅ宝」だよな」とか放言したりしつつ、上田城を散策。放言が良くなかったのか、二の丸から本丸に入ると同時に、空は曇り、ものの数分で土砂降りに。しばらく雨宿りしてたがラチがあかないので、雨に叩き出されるようにして北門から外へ逃れる。グチャグチャぬれながら池波正太郎記念館へ待避。ほとんど落ち武者である。<br>
<br>
　記念館を堪能してから上田駅へ向かい、駅に着く。「ここまで来れば大丈夫」「真田め、次は覚えていろ」などとくだらない軽口を叩いていたところ、雨の影響でしなの鉄道のダイヤが乱れ、次の電車はいつになるかわからないという。徳川秀忠ばりに上田城足止め。結局、駅で1時間ほど待たされた挙げ句、ようやく長野へ帰還。さすが真田家、あなどれない。いや、エライ目に遭ったわ。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0375#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
]]></description>
	</item>
	<item>
		<title> 2010-08-08</title>
		<link>http://www.mojimoji.org/blog/0374#tm1281278196</link>
		<guid>http://www.mojimoji.org/blog/0374</guid>
		<category>日記</category>
		<pubDate>Sun, 08 Aug 2010 14:36:36 GMT</pubDate>
		<author>mojimoji</author>
		<description><![CDATA[<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0374#a"><span></span></a></h3>
　出張@信州・松本。金曜日の晩に採点の祭典を終わらせて、土曜日に松本入り。明日まで足かけ3日の集会。こちらはなんだかんだ言っても大阪より大分涼しい。<br>
</div>

<div>
<h3><a href="http://www.mojimoji.org/blog/0374#b"><span></span></a></h3>
　本日は丸一日座りっぱなし。疲れた。寝る。<br>

</div>

<hr>
<h4><a href="/blog/0374#c">■コメント（0件）</a></h4>
<div style="margin-left: 1em;">
</div>
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